祭男の気まぐれ日記

このページでは私のブログ日記を紹介します。


      見送り幕と左側面
      見送り幕と左側面

                                      12月28日

猩々山(しょうじょうやま)の胴幕

 

左側面の絵柄は向かって左方に降り竜、右方に昇り竜を金糸で織出しています。その上方に散雲、下方に青海波を織出しています。本地の左右に緋(色)ラシャの縁ぎれをつけています


      会所前の大船鉾
      会所前の大船鉾

                                                                                                                                       7月24日     

後祭の宵山を観覧する

 

新聞報道によれば前祭の宵山(14~16日)は、多くの人で通りが埋め尽くされ熱気あふれる状態だったようだが、後祭の宵山(23日に観覧)は「比較的静かな祭だな」と感じた。それが印象的だった。

 

23日の夕方。私は地下鉄烏丸線四条駅で下車し新町通へ向かった。昼間の熱気もやや落ち着いたとはいえまだまだ暑い。きょうの楽しみは「大船鉾」を尋ねることだ。神功皇后が凱旋した船に由来する舟形のこの鉾は、幕末に焼失し長年巡行を休んでいたが、3年前に150年ぶりに巡行復帰した。

 

八幡山、北観音山、南観音山、大船鉾が集まる新町通は、そぞろ歩きを楽しむ人々でいっぱいだ。やはり浴衣姿の見物客が多い。ふだんは洋服姿しか目にしないが、夏の祭には浴衣がよく似合う。外国人までが着ているのは京都ならではの光景だろう。

 

大船鉾の会所周辺は、船首の「竜頭」を見学する人、チマキやタオルなどの記念品を購入する人、船鉾へ入場希望する人、朱印を授与するコーナーへ並ぶ人などで混雑。ちょうどこの場所は池坊短期大学校舎の裏側にあたるため、敷地内では京都府警や京都消防隊員10名ほどが安全管理のため待機している姿も見える。 

 

山鉾の上から祇園囃子が聞けるのは午後7時からとのことで、私は「屏風祭」へ向かった。これは旧家や老舗は家宝の虫干しも兼ねて、期間中に家の中や玄関を特別に秘蔵の屏風などを飾りつけるもので、土間や通りに面した窓から観賞する。新町通りでは市民や観光客が会所飾りや、町家が自慢の美術品などを軒先から写真を撮ったりして見入っていた。

 

私は伝統工芸品・和雑貨の店「くろちく」(百足屋町)へ。祇園祭セールを開催中のせいかお客様が多いようだ。普段衝動買いをしては妻にお叱りを受ける私だが、今回もその誘惑に勝てず和装小物を購入。(笑)

 

時間の経過とともにあたりは夕闇が深まり、駒形提灯がともる中浴衣姿の囃子方が山鉾に上がり祇園囃子の演奏が開始された。「いよいよだ」。私の胸は躍り本番へのムードが次第に高まっていった。


    山鉾の辻回し
    山鉾の辻回し

7月17日

祇園祭に行ってみた

 

JR京都駅に到着した新快速電車の中で、車内アナウンスが流れた。「本日はお急ぎのところ電車がおくれましたことお詫び申し上げます」。急いでいる時に限って・・・。私は地下鉄の改札口へと駆け足で進んだ。

 

7月17日午前。天気は曇り。きょうも蒸し暑い。そんななか祇園祭・前祭の山鉾巡行が京都市中心部で行われた。きょうの私の目的は午前9時に先頭の長刀(なぎなた)鉾が四条烏丸東入ルを出発するところから見ることだ。ところがスタートからつまずいてしまった。

 

四条駅で地下鉄を下り地上へ。案の定先頭の鉾ははるか彼方に見える。ならば麩屋町で鉾に乗る稚児が「しめ縄切り」を観覧するシーンを見よう。私は四条通りを急いだ。多くの観光客でごった返す中を、グイグイと無理に押しのけて進む。目指す鉾の見送が見えた。だが次第に前に進めなくなる。ついには完全にストップしてしまった。「ああ、もう少しなのに」。非情だ。

 

「残念でしたね。ほんのチョット前に終わりましたよ」と、ご夫婦連れのお話。情けない気分だ。

 

今度は鉾より先回りして河原町通りに出よう。ここ麩屋町からでは前に進めない。それじゃ綾小路通りを行こう。通りに出ると同じ目的の人々が、長い列をなして歩いている。まるで蟻の行列のよう。

 

やっと高島屋の正面玄関に出た。すでに長刀鉾は交差点で「辻回し」の準備態勢に。ここでも多くの観客が防波堤ように並んでいて、前方には進めない。ただ、ここは人混みで暑いはずの気温がヒンヤリとしている。頭上を見上げると冷たいミストが降り注いでいた。「なるほど良い場所には人が多いはずだ」と納得。

 

鉾の回転が開始された。薄く削った青竹を車輪の下に敷き、水をかけて動きの負担を減らす。車方と曳き方が音頭取りの合図に合わせて鉾先を変える。すると観客から感動の声と拍手が沸く。私も思わず手を叩いた。大津祭では曳き手として参加しているので、共感するシーンは多い。

 

その後計23基の山鉾が四条通りから河原町通りを北上して、御池通りを西に向かった。昨夜の宵山は時折の雨があったものの、およそ32万人の熱気で盛り上がったそうだ。こうして全国から毎年多くの観光客が訪れる古都は賑わう。

 

鉦、太鼓、笛の3種類の楽器で囃される‘コンチキチン’の祇園囃子。京都の夏を象徴するこの演奏を聴きながら私は京都を後にした。


 カヌー体験コーナーでの江川和明さん
 カヌー体験コーナーでの江川和明さん

                                                                                                           7月2日

第36回野洲川冒険大会「いかだくだり」

 

7月2日(日)のお昼前。私は守山市内を流れる野洲川のイベント会場へ向かった。手作りのいかだで川下りを体験する「野洲川冒険大会」だ。開会式会場となった新庄大橋付近から車を川沿いの道に入れ、ゴール地点の幸浜大橋上流の親水公園へと車を走らせる。

 

天気に恵まれた会場では、応援する人、ゴールした参加者、模擬店のお客、そして関係者など多くの人で賑わっていた。県内外から参加したいかだは76艇、およそ380人が集まったそうだ。いかだは色鮮やかで趣向をこらした飾りがついたものなど大小さまざまだ。

 

さっそくイベント会場の「カヌー体験コーナー」へ向かう。指導員の江川和明さん(65)はカヌー遊びを通しての旧知の仲だ。受付を済ませた子供達がカヌーに乗り楽しそうに水上で遊んでいる。川岸に並んだカヌーの横で親御さんが見守る。こうして見学する間にもいかだは次々とゴール地点に到着。

 

こうしたイベントへの参加は、水遊びの好きな親子にとって夏の良い思い出になるだろう。そして、私にとっても過去に当イベントに関係していただけに懐かしい見学となった。


神功皇后と武内宿禰

       イメージ画像
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学習図鑑などによれば、大和朝廷では摂政の聖徳太子が隋(中国)との国交を開き、仏教を中心とした大陸の文化をとりいれて、天皇の地位を高める政治をしたころを「国のはじめ」として解説しています。

 

表題の人物が登場するのが古墳時代と呼ばれるこの時期なので、随分遠い昔の話となります。そのために伝説や事実が混在して伝えられていても不思議ではないかな、と私は思います。

 

三韓(さんかん)とは、1世紀から5世紀にかけての、朝鮮半島南部に存在した種族とその地域を指します。朝鮮半島南部に居住していた種族を韓と言い、言語や風俗がそれぞれに特徴の異なる馬韓・弁韓・辰韓の3つに分かれていたことから「三韓」といいました。

 

神功皇后が行ったとされる三韓征伐とは、新羅(しらぎ)出兵をさします。新羅が降伏した後、三韓の残りの二国・百済(くだら)、高句麗(こうくり)も相次いで日本の支配下に入ったとされるため、この名で呼ばれます。新羅征伐と言う場合もあります。神功皇后を支えた功労者が武内宿禰(たけうちのすくね)です。

 

神功皇后山(じんぐうこうごうやま)の所望で、「三韓之王者」という五つの金文字が、次々と岩上に現れますが、その理由が読み解けましたね。なるほどそうだったのか。

 

現在の和歌山市松原に、武内宿禰が生まれた時に産湯を使ったという「誕生井(たんじょうい)」が武内神社の境内に残っているそうです。

 

尚、文章表現の中で「朝鮮」「征伐」「日本の支配下」という言葉を使いましたが、決して特別な意図や思惑はありませんのでお断りしておきます。

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祭りの日は法被が良くにあう

     町内を練り歩く左義長
     町内を練り歩く左義長

3月12日(日)の午後、私はJR近江八幡駅で電車から下車した。天気は晴れ。湖国に春を告げる「左義長まつり」(国選択無形民俗文化財)見学が狙いだ。駅舎にある観光案内所でパンフレットを頂戴しバス停に向かった。「間もなく出発します。お急ぎください」。臨時バス近くで案内人が声をあげた。

 

市営木幡駐車場で下車し日牟禮八幡宮へ歩く。白雲館あたりの路上は観光客でいっぱい。すでに子供左義長が、両方からぶつかり合いの最中だった。周辺にカメラを向けた奥様たちが声援をあげている。参和会(藍色の法被)と紫竹会(靑の法被)のお子様の応援だろう。まるで運動会の光景だ。

 

昨日から始まっている祭りだが、私には素朴な疑問があった。左義長をぶつけ合う「組み合わせ」の勝敗と、なぜぶつけ合うのか、というものだ。

 

八幡宮前の広場には、えとの飾り物を付けた左義長が数基到着していた。周囲は多くの見物客で賑わっている。目の前で紫竹会(青の法被)と本町(赤の法被)のぶつかり合いが始まった。中央付近では両者の先導役が、ホイッスルやかけ声で仲間を煽る。後方から前に向かって「押せ、押せ」の体制だ。

 

突然、片方が左に傾いた。相手は勢いが増す。もう上側に乗っかかっているよう。しかし、下側も負けてはいない。次第に回りながら体勢を盛り返してきた。ついに起き上がった。声、声、声。汗、汗、汗。ダシや赤紙が激しく揺れる。派手な化粧姿の若者らの法被が揺れる。まるで棒倒しの様相だ。格闘技だ。

 

本町(赤の法被)の長老に先の疑問点を聞いた。

 

「勝ち負けはないね。どちらかと言えば損傷(ダメージ)の大小かな」。話によれば13基の全てとやるでもなく、組み合わせの決まりはない。その場で試合(?)申し込む。場合によっては断っても良いという。

 

昔、町内を練り歩いていた左義長が、向かい合う形になった。狭い道だ。両者ともプライドがあり道を譲らない。「どちらが道を譲るのか」。そこで左義長をぶつけ合って負けた者が道を譲ったという次第。「う~ん。そんな背景があったのか」。そして、今では八幡宮前の広場で観光客相手のショーの感じになってしまったようだ。

 

八幡宮近くの和菓子店「CLUB HARIE」では、臨時屋台もあり客の長い行列ができている。広場は法被姿で走り回る子供や、老若男女で混み合っている。祭りの日は法被が良くにあう、私はそう思った。

 

頭上を見上げると青空に飛行機雲が白く弧を描いていた。素敵な春の1日。

 

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「芸大の卒業展に行った」

  大学の大階段と卒展案内状
  大学の大階段と卒展案内状

良く立ち寄るCaféで「2016年度 京都造形芸術大学 卒業展/大学院 修了展」の案内を頂いた。そして開催期間中のある日、私は大学の展示会場にいた。少し曇り模様で小雨が降る気配だ。

 

その日は訪問前から美術工芸学科・日本画コースと情報デザイン学科・イラストレーションコースの作品を鑑賞する予定だった。ところがキャンパスが広大なため目的場所がすぐに特定できない。案内嬢に聞き人間館C棟5-6Fの日本画コースへ向かった。

 

印象深い作品のひとつがサンショウウオをモチーフにした絵だ。障子を使い日本間を再現した空間に、渦巻模様に図案化された独特の水流や、金箔を使った装飾的な大画面の屏風絵が並ぶ。「ああ、江戸時代の日本画絵師・光琳だ」。ふとそんなイメージが浮かんだ。

 

また、文化財保存修復領域のコーナーでは、日本の絵画形式の1つである絵巻物の模写の様子が説明され、実際に美人画などを再現した作品があり、その緻密な表現に驚く。固有の素材や独自の技法を、長きにわたってその絵画様式を保持し継承するには欠かせない技術だ。

 

いずれも学生作家さんのお名前をメモしていなかったので残念だ。

 

さて、建物を出ると小雨が降っていて、時間もだいぶ経過していた。私には傘がない。でも、このままでは帰れない。智勇館に行かねば。Cafe「Verdi」で一休みしたい気持ちを抑え、急いで白川通りを歩いた。

 

情報デザイン学科の会場では、3つの作品が強く印象に残った。

 

ひとつは「underground」(伊原菜摘)だ。B1サイズのポスター5枚には、食生活、動物、都市生活、戦争、労働などの光景を合成していて、そのままでも楽しめるグラフィックだが、作者の意図は別にある。考えさせられる作品だ。

 

二つ目は「Flower Children」(井上朝香)だ。B2サイズのパネル3枚には、食卓を想わせる光景に小さなマスコットキャラクターが登場し、ほっこりした雰囲気満載の絵だ。「遊び心を失わないで」と作者は呼びかける。

 

三つ目は「判じ絵看板」(岩切胡都)だ。判じ絵は江戸時代に大人から子どもまで広く庶民に流行した知的娯楽の「絵で見るなぞなぞ」。これを現代風に表現して看板にした。例えば「温泉マークの上でクロの文字がゆらぐ」看板。答えはユニクロ。なるほど。思わずニヤリと笑う。

 

たくさんの作品に触れ幸せな気持ちになった私。みなさんありがとう。

 

*印象に残った3作品は「私の1枚」のコーナーで紹介しました。

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山本勘太夫社中の舞

       猿田彦と獅子
       猿田彦と獅子

建部大社境内での節分・豆まき神事が終了した。いよいよ国指定 重要無形民俗文化財である伊勢大神楽の奉納だ。大神楽師は、お伊勢参りが叶わぬ遠隔地に住む人々のため、日本各地を旅し一年の大半を旅の空で過ごす。

 

現存する五つの家元は、元旦からそれぞれの檀那場へ赴き西日本を中心に諸国を巡る。十二月になると、三重県桑名市増田神社にて行われる祭礼行事に合わせて旅から戻り、再び大晦日には檀那場へと赴くという。きょうは「山本勘太夫社中」が登壇する。

 

初めて大神楽を鑑賞する私は期待で心が高揚する。奉納演目を説明した資料が配付された。それには八景八曲の16の演目が記載されている。いよいよ軽快な音曲に合わせて最初の「鈴の舞」が始まった。神社での奉納の際は、総舞に先駆け拝殿にて奉納を行う舞だ。

 

「扇の舞」では猿田彦が手に持つ扇が欲しくて後を追いかけ回す。そして猿田彦の導きによって、立派に成長した獅子は、扇を授けられ狂喜乱舞する。

 

「綾採の曲」では道化役が登場。言葉の掛け合い噺や謎かけ問答を芸に加えて滑稽味をだしている。観客がドット笑う。先ほどの豆まきの祭に「おおいに笑ってお帰りください」とアナウンスがあった意味が理解できる。なるほどこれか。

 

「手鞠の曲」「献燈の曲」と続き14番目の「玉獅子の曲」に。すでに1時間以上が経過している。この舞ではおどけた顔の翁が登場し、会場の笑いを誘う。ここまで鑑賞したあたりで少し小雨が降り始めた。傘のない私はここで退却。

 

こうして楽しく過ごした私は建部大社を後にした。「ありがとう」。

 

                             ホームページ「伊勢大神楽講社 山本勘太夫社中」参照

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建部大社の節分祭

     「福は内、鬼は外」
     「福は内、鬼は外」

「きょうはいっぱい福をお持ち帰りください」。そんなアナウンスが会場に響く。

 

2月3日。今日は建部大社の節分・豆まき神事だ。天気はあいにくの曇り空で、雨が降るかも知れない。明日は立春なので暦の上では春になる。

 

JR石山駅で下車。帝産バスと近江バスの乗り場に向かったけれど、目的の「建部大社前」方面行きのバスは暫くないことを知った。「よし歩こう」。20分ほど歩いただろか。お昼過ぎに会場に着いた。

 

伝えられるところによれば、当社は近江国の一之宮として朝野の崇敬もあつく、長い歴史と由緒を持つ全国屈指の古社だ。平家物語には源頼朝が祈願成就の神慮に対し、幾多の神宝と神領を寄進して奉賽の誠を尽くしたと記されているほどだ。あたりは神領(じんりょう)との地名も。

 

豆まき会場は混雑を考慮して「子供向け」「一般向け」「お年寄り向け」に分けている。甘酒・御神酒の無料接待所には既に行列も。定刻に豆まきがスタートした。大津祭の粽投げを想起する。参加者はいっせいに両手をあげて福袋を受け止める。地面に落下した袋にも争奪戦が。ついに私も「招福豆」の小袋をゲット。

 

こうして楽しく過ごした後、境内をぶらり散歩。稲荷神社(招福繁栄の神)と大野神社(縁結びの神)の前に。私は迷うことなく大野神社へ参拝。「なんでそこなの?」と突っ込みが予想されそうだが、それは内緒にします。(笑)

 

13時からの「伊勢神楽奉納」については、別途ブログ日記をご覧ください。

 

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新三輪明神・大神神社・杉玉

      店先のしるしの杉玉
      店先のしるしの杉玉

従前、気になったり疑問に思っていたことが、フトした事がきっかけとなり、点と点が繋がり線になり、「ああ、そうだったのか」と理解できたときは嬉しいものです。そんな経験ありませんか。

 

随分前のことですが、奈良県在住の知人を訪ねて私たち4人が集合しました。そのときの話題で記憶に残ったものは「三輪山自体が御神体」「ふもとにある大神神社(おおみわ神社)のご神木は杉で、古来神聖なものとされてきた」というものです。

 

昨年、滋賀県高島市の酒蔵を訪ねたとき、お店の軒先に吊した「杉玉・酒林(さかばやし)ともいう」を見たのですが、「杉玉」の大まかな意味は、冬の青々としている時は「新酒ができましたよ」の合図だそう。そして現在も多くの酒造業者に大神神社から「しるしの杉玉」が授与されているそうです。

 

そして宵宮で飾られていた大津市堅田町の神楽山です。創建時は三輪明神を祀っていたため三輪山(みわやま)とも呼ばれていたそうです。地元の方にこれらのお話しを伺ったときに、私の頭の中ではこの3者(三輪明神・大神神社・杉玉)が見事に繋がったのです。「ああ、そうだったのか」。

 

今年も大津祭の季節がやってきます。この曳山祭礼の特色は、からくりを曳山に導入したことにあります。からくりの題材は、中国の故事や能・狂言から取り入れられています。ぜひこうした背景にも興味をもってご覧いただければ、楽しさが倍増することでしょう。

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謹んで新春のご挨拶を申し上げます

新年になりました。皆様にとりましては、昨年はどんな年だったでしょうか。私は昨年、このホームページの企画・運営を開始して、無我夢中で走ってまいりました。今年も大津祭ファンの皆様に、愛読していただけるよう努力してまいります。今後とも倍旧のお引き立てとご協力をお願い申し上げます。

 

最後になりましたが、皆様の益々のご健勝をお祈り申し上げます。ありがとうございました。

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紅葉の百済寺

     美しい参道の紅葉
     美しい参道の紅葉

全国の紅葉シーズンの報道に刺激された私たち夫婦は、滋賀県東近江市の百済寺に車で出かけました。11月中旬のことです。天気は晴れ。朝食を終えた後、妻はお弁当作りを始めました。いざ出発が決まるとサクサクと手際が良い。

 

車を利用した場合は名神八日市ICより約10分という距離です。過去数回訪れているので道順は知っています。予定通りお昼前には到着。京都などの有名観光地と違って意外なほど車も少なく駐車場も空いています。「穴場かもね」とふたりの会話。

 

受付で料金を払いパンフレットをいただく。お決まりのコース順で歩きます。本坊の庭園は東の山を借景に、大きな池と巨岩を配した豪華な池泉廻遊式ならびに観賞式の庭園です。池の鯉に餌をやり写真を撮ります。

 

山の傾斜を上ります。小高い「遠望台」から琵琶湖や遠方の比叡山など、広大なパノラマ展望が望めます。その前方はるか先には、往時の「百済国」があったといいます。小さな感動です。

参道の石段を上り仁王門に到着。「百寺巡礼」で有名な作家・五木寛之氏が、この百済寺の大草鞋(ぞうり)に触れて以来、脚光を浴びているそうです。成るほどさすがに大きい。

 

さらに本堂へ。近くの金剛輪寺・西明寺の本堂よりも小さいですが、天台形式の構造をもった均整のとれた建造物で、平成16年12月に文化庁より重要文化財の指定を受けています。私は鐘楼で鐘をつき祈願。「何をお願いしたの?」と妻。「内緒」と私。(笑)。

 

参道を下りながら周囲の数百もの宿坊跡に、往時の繁栄を偲びます。再び本坊まで戻り、黄色くなったいちょうの木の下で持参したお弁当を。「やっぱり外でいただくと美味しいね」。

 

観光バスが到着したせいもあり、周囲は次第に賑わってきました。紅葉のシーズンが終わるといよいよ冬の到来です。こうした四季に恵まれた日本の自然に、改めて感謝した一日でした。

(画像:百済寺のHPより)

 

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能「西行桜」とは

      花道を進む桜の精
      花道を進む桜の精

数年前の春に東海道本線・JR山崎駅で下車して近くの「大山崎山荘美術館」を尋ねました。その時「桜の名所だから、大原野方面まで足を伸ばそう」と提案する知人に対し、あまりにも交通の便が悪そうなので断念した記憶があります。

 

西行桜狸山の所望の基となった能楽「西行桜」は、この京都西山の大原野の桜に由来します。この地に草庵を結んだ西行法師は、平安末期の歌人でもあり多くの桜の歌を詠んでいます。中でも「花の寺」と呼ばれる勝持寺(しょうじじ)には、西行自らが植えて愛でたと伝わるしだれ桜があり、以来、「西行桜」として親しまれています。

 

それでは能楽師・殿田謙吉氏のHP(http://tonoda.blogspot.jp/)から、その舞のあらすじを参照します。原文のまま。

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あらすじ

 

■都の郊外・西山に清閑を楽しむ西行上人(ワキ)の庵りの春。

桜の名所で知られるここで、西行はひとり静かに花と対座しようと「今年は花見客を一切入れないように」と能力(アイ・下働きの僧)に命じます。

 

そんな庵主の心も知らず、花見見物に訪れた下京辺りに住む人々(ワキツレ)。能力は一度は断るが、花見人の熱心な望みに根負けした西行は、自らの禁を破って招き入れます。

 

■花の下に群れ居る人々を前に、西行は当惑。

「花見にと 群れつつ人の 来るのみぞ あたら桜の咎(とが)にはありける」(花を目当てに多くの人が訪れることだけは、惜しくも桜の罪であるな)と詠みます。

 

■やがて夜。庭に立つ桜の大樹から、先刻の歌を詠ずる声が響きます。

「憂き世と見るも 山と見るも ただその人の心にあり」(憂き世と見るのも、山と見るのも、それぞれの人の心の中にあることでしょう)「非情無心の草木の 花に憂き世の咎はあらじ」

(心を持たぬ草木に罪などない。苦しみの多いこの世を嫌って離れる=出家するあなた自身にこそ、その原因があるのだ)と述べて出現したのは、白髪の老人に身を変えた桜の精でした。この反論には、さすがの西行も恥じ入ります。

 

とはいうものの、老桜の精はこの歌を縁として西行に出会い、仏法に触れ得た喜びを述べ、都で知られた花の名所の数々を語り舞います。

 

老桜の精は、「過ぎ行く一瞬は再び帰らない。得がたき友との出逢いも、短い一生の間めったにはない」と説き、春の短夜に別れを告げ、曙の光の中に姿を消します。

 

夢醒めて後。風に散り庭一面に降り敷く、雪のような落花が残るばかりです。

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所望は、桜の精が曳山の左前古木より現れ、花道を進み出て奥にいる西行法師と和歌問答をする様を表現しています。

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「MANHATTAN IN BLUE」

     私だけの素敵な時間に
     私だけの素敵な時間に

先日私は三重県へ心の洗濯にでかけたのですが、ある事に感動して手が震え動けなくなってしまいました。

 

早朝。シーサイドのリゾート・マンションにいた私は、MALTAのCDを聴きながら、森鴎外の「舞姫」(新潮文庫)を読んでいました。

 

かつて大学生だった頃、経済学部の私は隙をみては、文学部の山崎先生の講義を聴いていました。講義は「鴎外 森林太郎」で、ドイツ留学中の豊太郎とエリスとの恋愛話に夢中でした。

 

そんな鴎外の作品ですが、「或る日の夕暮れなりしが、余は・・・・略。」「今この処を過ぎんとするとき、鎖したる寺門の扉に寄りて、声を呑みつつ泣くひとりの少女あるを見たり。」

 

ここでした。この部分まで読み進んだ時、手が震えページをめくれなくなったのです。「ああ、どうしよう」。おそらく物語の概要を知っているので、そこから悲劇が始まると解っていたからでしょう。

 

ちょうどその時の音楽が、「MANHATTAN IN BLUE」だったんですね。皆さんご存知の様にMALTAが奏でるアルトサックスの、スローバラードのこの曲はジンときますね。

 

本を読むのを中断した私は、ベランダに出ました。海の向こうが赤く染まり、朝日が静かに昇ってきます。「ああ、なんて素敵な朝なんだ」。そんな時間によく似合う曲でした。

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大津ジャズフェスに行く②

     賑わったおまつり広場
     賑わったおまつり広場

10月16日の午後。「大津ジャズフェスティバル」のメイン会場のなぎさ公園おまつり広場(同市打出浜)は、無料で音楽が聴けるとあって、多くの人で賑わっていた。天気は晴れ。こうした屋外のライブ会場の観客には嬉しい。 この2日間でJR大津駅前、スカイプラザ、旧大津公会堂などのメイン会場に加え、市街のお店やお寺など(パートナー会場)では、多くのライブが催された。プロ・アマ合わせて約120組・千人の出演だという。

 

私のきょうの目当てはビッグバンドの「Music Ace Jazz Orchestra」や「Joshua Rodriguez Jazz Orchestra」だ。ミュージック・エースは賀県守山市を拠点に滋賀県南部、京都を中心に活動する社会人ビッグバンドで、結成して50年以上の活動歴を持ちメンバーも多彩な顔ぶれだ。また、後者は大阪芸術大学の卒業生を中心とした若さあふれる演奏だ。

 

また、このメイン会場に隣接して生ビールを飲み比べる「ワールドびわガーデン」(有料)も同時開催され、ペルーやスリランカといった各国のワールドフーズのお店や、滋賀県産野菜や手作りのアクセサリー&雑貨の販売も。昨日は前滋賀県知事の嘉田さんが、きょうは大津市長の越さんが演奏の合間に舞台でこのコーナーをPRしていた。

 

広場では、ジャズだけでなくポップスや昭和歌謡など、幅広いジャンルの音楽が流れている。演奏に合わせて体を揺らす若いふたり、びわ湖に突き出た桟橋で釣りをする人、マイケル・ジャクソン風な格好で踊っている子供さんもいる。また、学校帰りの途中らしき女子高生は、リュックを背に楽器ケースを手にしてステージを立ち見していた。みんな音楽が好きなのだ。

 

曲はバラードになった。私はこうした曲は聴くだけで涙が出そうになる。ステージ前列の椅子に腰掛けた中年の男性が、目をつむり聴いている。そんな横顔を見た私は思った。「きょうはどんな1日だったのだろう」。

 

次第に日が落ちてきた。対岸の山々の上を見ると白い満月が見えてきた。

 

こうして会場の参加者と私は、やさしい風と光のさわやかな秋の中、心ゆくまで音楽に浸り2日間を楽しく過ごしたのだった。

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大津ジャズフェスに行く

      OJFのポスター
      OJFのポスター

「ハーレム・ノクターン」。私は今レコードを聴きながらこの原稿を書いている。ムードテナー奏者として知られるサム・テイラーだ。筆が走らない間にも、「ダニー・ボーイ」「サマー・タイム」と曲名は変わる。そして「夕日に赤い帆」のアップテンポなダンス音楽になると、自然に心が動き手が動き出した。

 

10月15日、16日の両日、大津市内の各会場でJAZZを中心とした演奏が行われ大いに盛り上がった。「第8回 大津ジャズフェスティバル(OJF)」だ。私は大津駅前、大津教会、大津市旧公会堂、お祭り広場などで演奏を楽しんだ。会場間の移動は徒歩だが、全く苦にならない。まだ暑さは残るものの、時折びわ湖湖畔ならではの風も心地よく感じられた。

 

ちょっと印象に残ったシーンを。大津教会では京都・滋賀で活動するゴスペルの「Bicerin(ビチェリン)」だ。歌手6人とピアニスト1人の構成で、その歌声に満席の会場では、手拍子で盛り上がっていた。並んだ長椅子と正面の十字架が、会場特有の雰囲気を醸し出していた。教会、礼拝、賛美歌はよく目にするシーンだ。

 

大津市旧公会堂で演奏していたのは「Vermilion Field」だ。5人のメンバー全員が作曲を手がけ、幅広い音楽性で活動中という。ここでも会場は満席で立ち見客も多くて盛り上がっていた。カメラを取出すと背後から声が。「申し訳ありません。撮影はお断りしています」。ピンクのTシャツ姿のOJFスタッフだ。ああ、そうかそうかと納得。

 

演奏が終わり会場の外へ。びわ湖方面へ続く集団の後について行くと、予想通り目的地はおまつり広場だった。会場近くのびわ湖ホテル前で、ふと2階の窓を見上げると、チャペルでは結婚式の模様。1階のカフェでは正装した、若いふたりがお見合いの様子だ。

 

窓越しに見るこの光景。ゆったりと眼前に広がる静かな湖面。そして会場から流れてくる音楽。その瞬間、ふっと幸せな気持ちになれた自分がそこにいた。

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粽(ちまき)が納品された

     納品された粽(ちまき)
     納品された粽(ちまき)

9月25日(日) 午前10時30分。大津祭名物の「ちまき投げ」で使用する「粽(ちまき)」が、月宮殿山・上京町に納品された。曳山巡行でまくのは、餅の入っていない「厄除け」だ。

 

なので、祭りで手にした本品は、玄関など目にはいりやすい場所に吊し、病疫災難除けとして掲げる。

 

これらの粽は京都の業者に事前に発注していたもので、全ての曳山町の総量は4トントラック(コンテナ車)1台分にもなる。天孫神社でお祓いを受けた後、それぞれの曳山町へ配達される。発注先の業者では、京都の祇園祭の粽も製造しているという。

 

配達された粽は、お囃子の練習会場でもある上京町の町家で、配布先ごとに仕分ける。この作業だけでも約1時間ほど。その後最終確認を行う。こうして事前準備された粽は、10月9日(日)の本祭を待つことになる。

 

ちなみに月宮殿山・上京町に納品された粽は、「57そく」(57束X50本=2850本)だった。

 

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伏水蔵を見学する

   伏水蔵のレストラン(黄桜HPより)
   伏水蔵のレストラン(黄桜HPより)

ここは京阪本線中書島駅。まだ夏の暑さが残る9月の半ばだ。清酒大手の黄桜(京都市伏見区)が本社敷地内に、清酒や地ビールの醸造工程を見学できる施設を新しく開設したので見学に行った。

 

施設の名前は「伏水蔵(ふしみぐら)」だ。京都市内に住む友人を誘ったところ快諾を得たので、この駅で待ち合わせとなった。約束の時間より早く到着し、時間には余裕があった。

 

駅員に聞いてみた。「伏水蔵行きのバス乗り場をご存知ですか?」「知りませんね」。駅近くの酒店主に聞いてみた。「名前は聞いたことあるけど、バスは知らないね」。私は少し不安になった。その時友人が到着した。「こっちですよ」。

 

友人によれば、事前に見学予約をすると、無料送迎バスの案内をしてくれるそうだ。これなら安心して飲める(笑)。バスに乗車してほどなく施設に到着。

 

1階の受付で少し待った後、案内嬢に2階へ通された。ここはガイダンスシアターとなっていて、黄桜の日本酒・地ビール造りの行程が上映された。その後、見学順路に沿って5階へエレベーターであがる。ここでは酒造米の特徴や麹菌、酵母の働きなどが展示紹介されている。吟醸蔵の見学通路では酒造り行程を見る。4階では地ビールの展示紹介と、地ビールの充填工程を見学。さらに3階へ下りる。ここでは黄桜のキャラクター・カッパや、代表製品の誕生エピソードなどを知る。2階へ下りると地ビール醸造工程が見学できる。

 

いよいよ期待のレストラン&ショップのエリアだ。2階のこのコーナーでは、できたての日本酒や地ビールと日本料理が楽しめる。見学時間を考えないと、ラストオーダーの制限に悩むことになる。私たちは残された時間内で、「お総菜の3種盛り」「唐揚げ」などをビールで美味しくいただいた。

 

見学ガイドにはこんな但し書きがある。「ご来場日時により、稼働していない場合もございます」。私たちは正にこの時間帯に遭遇し、残念な思いで施設を後にしたのだった(笑)。

 

ダリ展に行った

     強烈な風貌のダリ
     強烈な風貌のダリ

「スペインが生んだ奇才。過去最大規模の回顧展」。そんな宣伝の言葉に乗せられた私は、京都市美術館(岡崎公園内)で開催中のダリ展に行った。8月中旬の真夏日のことだ。

 

京都市の地下鉄東西線・東山駅で下車。少しでも涼を感じながら歩こうと、白川沿いに会場に向かった。この川は浅く水がきれいなので好きだ。小さなお子様ふたりと母親が、浅瀬で水遊びをしていた。3人とも裸足だ。ズボンやスカートが濡れているが、いっこうに気にならない様子。こうした光景を見ると、こちらまで幸せな気持ちになれる。「いいなあ」。

 

会場に到着。予想通りの行列だ。本展はガラ=サルバドール・ダリ財団(スペイン)、国立ソフィア王妃芸術センター(同)、ダリ美術館(アメリカ)、そして国内所蔵の作品も加えた大規模なものだ。

 

年代順に8章構成に展示された会場を、多くの観客と一緒に流れながら作品鑑賞を続けた。いわゆる「ダリ的な作品」や、映像、宝飾品、書籍の挿絵など多彩な作品群に驚く。そして、飴のようにグニャリと曲がった時計や、足の長い像の行進などを生み出した背景を知る。「なるほど、そうだったのか」。

 

なかでも妻となるガラとの出会いに、私は感銘を受けた。ダリより10歳も年上でバツイチ(これらを批難しているのではありません)の彼女は、ダリの絵の主要なモチーフとなり、モデルであり、その才能を発揮してプロデューサー的役割で作品を広く展開し、しかも彼にとっては最愛のミューズだったという。

 

「画家の妻たち」澤地久枝著(文藝春秋)で紹介されている彼女はこうだ。「彼の欲望、憤怒、不安、劣等感、狂気に引きさらわれるギリギリの魂の叫びをガラは理解し受け止める」「ガラなしでは自分はダリになれない、ガラは血液、そして酸素だとダリは直感する」。

 

この時ガラは詩人のポール・エリュアールの妻であり、ポールはダリの友人という立場。スペインのダリを訪ねてきた夫妻。そこで運命の出会いとなった。この先を私はここで書けない。

 

現在、ダリ展は9月14日(水)〜12月12日(月) 国立新美術館(東京・六本木)で開催中だ。

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祇園祭(解体・倉納め)に行く①

       菊水鉾の解体作業
       菊水鉾の解体作業

7月17日(日)の京都は快晴。日曜開催となったこともあり、八坂神社(東山区)の祭礼・祇園祭は19万人(京都府警調べ)の見物人で賑わったそうだ。この前祭(まえまつり)の山鉾巡行が行われる時間帯に、私は見物に行けないため、山の解体・倉納めを是非とも取材したいと計画していた。

 

幸いなことに山鉾建ての位置が、四条通周辺に集まっているので、歩いて回るのには好都合だ。京都駅から地下鉄烏丸線に乗り四条駅で下車。駅の案内所でパンフレット「宵山・巡行ガイド2016」(無料)をゲットしたので、それを片手に出陣。

 

まず目についたのが四条通に残された「月鉾」(下京区四条通室町西入ル)。色鮮やかな懸装品(前懸、胴懸、下水引、裾幕等)や車輪などがすっかり取り払われて、骨組みだけの姿であった。囃子方や諸道具を乗せると、重さは12トン近くにもなる最大の鉾だ。縄がらみは確かに美しいと思う。これだけしっかり結んであれば大丈夫だ。ただ、解体の作業もなく、道行く人も立ち止まることもないので、なんだか哀れな雰囲気が漂っている様だった。

 

次は室町通の「菊水鉾」(室町通四条通上ル)だ。これは解体中なので、見物人が多くいてカメラを向けている姿もある。梯子を使って多くの作業者によって手際よく進む。解体した部材は近くに駐めたトラックに。その場に居合わせた袴姿の関係者に聞くと「あと1時間くらいだろう」。

 

また、これら解体作業は早ければ早いほど良いという。巡行を終えた山鉾は、街の厄を集めるという役割があるので、集めた厄を留めないようにすぐに解体するのだという。「無病息災と言うだろう。知っとるか?」「失礼だなあ。分かりますよ」。(笑)

 

続きは「祇園祭(山の解体・倉納め)に行く②」で。

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安西水丸展に行く

  描けるはずもありません(笑)。
  描けるはずもありません(笑)。

美術館「えき」KYOTOで開催していた安西水丸展に行ってきました。イラストレーター水丸さんの描く個性的な作品は、ソフトな感じでほっこりした雰囲気なので好きです。

 

もっと言えば「これなら僕でも描けるかも」と思える様な、ものすごく簡略化された絵です。では描けるのか。描けるはずもありません(笑)。

 

水丸さんは日大芸術学部を卒業後、電通に勤務。その後ニューヨークのデザインスタジオで数年過ごされたという経歴の人で、以後、フリーのイラストレーターとなりました。「ガロ」や「宝島」「ポパイ」といった雑誌を舞台に活躍した人でもあります。

 

1970年代。「ヘタウマ」という言葉が当時はやりました。水丸さんの描く絵もそうでしょうか。高度成長期は企業が予算をドンドン使えた時期なので、広告、ポスター、雑誌の全盛期でしたね。

そして、沢山の作家さんがデビュー。イラストレーターという職業が確立した時期でもあった様に思います。

 

展示会を後にして東山区の古物商へ。ここではブリキ製のおもちゃや看板、照明器具、家具などが展示されているのですが、目についたのがズシリとした重量感のあるアメ車。でもお店のオーナーさんが「これは売りません」(笑)と。

 

「水丸展」で気持ちが高揚していたこともあり、ブリキ製の飛行機を購入。もちろん水丸風に絵を描いてみるためであります。さて。

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能「西王母」とは

     桃の中から唐子衣装の童子が
     桃の中から唐子衣装の童子が

「人生80年」という言葉がありますが、統計では2014年の日本人の平均寿命は男性が80.50歳 、女性が86.83歳といいます。古来より私たちは「健康で長生き」を理想としてきました。そのため不老長寿をテーマーとした話も数多く残されています。能「西王母」もそうした話が登場します。

 

それでは、能・鉄仙会(http://www.tessen.org/)のHPから引用して、その舞のみどころを見てみたいと思います。尚、銕仙会は江戸中期の十五世観世左近元章のときに分家し、現在に至るまで能界に重きをなしている観世銕之丞家を中心とした演能団体です。

 

本作では、西王母の花園に咲く、三千年に一度実を結ぶ桃の実が、話題の中心となっています。西王母とは中国で信仰されている女神で、中国の西にある仙郷・崑崙(こんろん)山に住んでいるとされています。その桃の実は不老長寿の妙薬とされ、能楽でも本作や〈東方朔(とうぼうさく)〉に描かれています。

 

桃の実というのは、古代以来、中国や日本において、不思議な力をもつ果実であると考えられてきました。こんにちでも理想郷の代名詞として知られる中国の神仙世界のひとつ「桃源郷」は、その名にも「桃」の字が入っているように桃とは縁が深く、山の中にあって桃の林をぬけていった先にある世界とされていました(陶淵明『桃花源記』)。

 

また日本神話でも、黄泉の国から逃げ帰るイザナギの守は追いかけてくる鬼たちに向かって桃の実を投げつけ撃退したとされており、これらの神話・伝説が示すように、桃の実や桃の木には神仙に通じる不思議な力や強い霊力がそなわっていると考えられていました。 その不思議な果実である桃が皇帝に献上され、神仙の力によって治世が祝福されるというのが、本作の主題となっています。

                             能・鉄仙会  曲目解説「西王母」

 

以上が「西王母」の曲目解説ですが、この話では東方朔(とうほうさく)が登場しません。両者の関連性については能「東方朔」に譲ります。ここでは、曳山・西王母山の名前の由来と桃との関連性について触れておきたいと思います。(写真:河合哲雄)

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大津百町・古民家の再生事業

       基礎工事中の現場
       基礎工事中の現場

JR大津駅から寺町通りの商店街を、琵琶湖方面に向かって歩くと商店街が続く。話は数ヶ月前の話題で恐縮だが、この商店街の一角で古民家の工事現場を発見した。私の好奇心がすぐさま呼び起こされた。「何の工事だろう」。

 

そこには大きな完成予想図(バース図)が描かれた防塵カバーが掲示してあり、「木の家専門店 谷口工務店ショールーム」のタイトルが読めた。表の通路側に工事廃棄物を運搬するトラックが停車しており、係員が交通整理をしていた。

 

施工中の現場の見学許可をいただき、中を覗くと壁や床がはがされ、床下がむき出しになっていた。重機を使った作業が忙しそうだ。

 

話を聞いてみた。「なんのお店ですか?」「建築会社のショールームです」。もともと団子屋さん(和菓子)だったんだけど、閉店することになり店主は解体を検討していたそうだ。そこで、谷口工務店さんが古民家の良さを生かし、自社の拠点にしたいと提案したという。

 

この夏には完成を予定している。お店は展示室、和洋室、それに中庭のある素敵な空間に再生されるという。私はこうした町家の再生事業が、大津市で始まっていることに好感を持った。

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葵祭(加茂祭)②

       腰輿に乗る斎王代
       腰輿に乗る斎王代

新緑の香る加茂街道を、平安王朝の装束姿の行列が進む。行列は下鴨神社(左京区)を経て、上加茂神社(北区)へと向かう。

 

 「お~っ」。時折観客からため息がもれる。「はよ写真とりや」。奥様らしき女性に背中を押されながら、前に進み出る高齢の男性の姿も見える。私は苦笑。

 

残念ながらこの画像では、行列の中心的存在である第61代斎王代・西村和香さん(26)の姿が見えにくいが、なかなか大変な役目であるらしい。

 

そもそも斎王とは潔斎して神に仕える巫女のことだ。従来未婚の内親王などの後続がお務めされていたもので、最近では、伊勢神宮の62回神宮式年で黒田清子さん(旧名紀宮清子内親王)が、臨時斉宮に立たれている。なので、そうした歴史的背景にふさわしい人物が選ばれる。前出の知人によれば、「ええとこのお嬢さんでないとあかんらしい。しかも京都人なのは必須」。

 

また先ほどの話に関連するが、資産家のお嬢さんであることも条件になるようだ。十二単姿に檜扇(ひおうぎ)を手に腰輿(およよ)に乗る優雅な斎王代であるが、それらにかかる費用は全て自腹なのだという。「それじゃ高級車が買えるね」(笑)。

 

今年の斎王代に関しては、新聞報道にも関連記事があった。あながち知人の話は冗談でもないようだ。私はそうした話を聞いていたので、この祭が大変興味深いものとなった。

 

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葵祭(加茂祭)①

      牛童が綱を引く牛車
      牛童が綱を引く牛車

5月の新緑が気持ちの良い季節。目の前の河原では、幼児らが懸命に石投げに夢中だ。そして、その近くでは母親らしき女性たちが、おしゃべりに夢中だ。ときおりジョギングのランナーが走り去る。天気は晴れ。そしてきょうは日曜日だ。

 

京都三大祭りのトップを飾る葵祭が15日に行われた。日曜日の開催は5年ぶりとのことで、沿道ではおよそ8万人が行列に見入ったそうだ。私は京都市営地下鉄の北大路駅で下車し、多くの群衆の流れにまかせて、加茂街道へ向かった。

 

驚いたことに同じ車両に乗り合わせた、客のおよそ八割がここで下車したではないか。車両に残った客がポカンとしている。「The Aoi Matsuri festival ,an annual event for・・・」。タブレットに夢中だった外国人観光客らしき男性もあわてて下車した。

 

京都に住む知人が言う。「この祭りを見るなら、北大路橋から御園橋をつなぐ加茂街道がイチ押しだね」。

 

なるほど、新緑の並木道が続くこの道を、平安王朝の装束姿の行列が静かに進む情景は最高だと私は思った。直線なので良く見える。そして日陰なのが嬉しい。鴨川沿いなので何かしら涼しさも感じられるようだ。

 

通過時間になった。ついに馬に乗った束帯姿の近衛使代(コノエズカイ)や、十二単姿の第61代斎王代(サイオウ)、そして御所車ともいわれる牛車がギシギシと車輪の音とともにこちらにやって来るのが見えた。

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水口曳山まつり ②

大津祭りファン倶楽部
     展示館に向かう池田町の曳山

神社近くの曳山倉には平町、米屋町、川内町、大地町、柳町の各曳山が、組み立てた状態で保管されており、扉を開放してその前で鉦や太鼓などでお囃子が賑やかに演奏。小さなお子さん達のその光景が微笑ましい。

 

境内では色とりどりの飾りのついた「ほいのぼり」が春の日ざしに映える。屋上のダシを揺らしながら、曳山が方向転換すると大きな拍手が起き、観光客のカメラがフラッシュ音をたてる。

 

方向転換を見て気がついたことがある。まず、山の中央部分の床下に突き出た太い心棒があり、回転場所で地面に敷物を重ねる。山方が両側から「てこの原理」で山を浮かせる。そこで、さらに敷物を重ねる。ゆっくり山を下げる。すると、敷物の厚さの分だけ山が浮く。この時、一気に山を方向転換。そして、再び敷物を抜き取ると元の体制に戻ることだ。「なる程そういう仕組みだったのか」。

 

大人神輿、子供神輿も入場を終え、次第に祭りは終わりに向かう。池田町の曳山が最初に神社を出発して、水口歴史資料館へ向かった。曳き方に聞くと、入庫した山は1年間館内で展示されるということだ。

 

数回の軌道修正の後、山は展示館に入庫を終えた。お囃子も止み関係者が整列し、神主のお祓いが始まった。その時、突然ガタン、ゴトン、ガタンと音がした。私は驚いたのだが、皆さんは慣れた様子で自然体。なんと展示館近くの軌道を、近江鉄道の電車が通過した音だった。「ああ、のどかだな」。

 

あたりが次第に夕闇につつまれると、他の曳き山が提灯をともしながら、各山倉へ戻りはじめる。こうして、水口神社一帯の祭りが終わる。

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水口曳山まつり ①

大津祭りファン倶楽部
      境内に勢揃いした曳山

「祭り?。やってるよ。神社に行ってごらん」。

 

4月20日(水)の午後。天気は晴れ。祭りには格好の日よりだ。こうしたイベントのある日は交通規制があるため、私は大型商業施設の駐車場を利用し、現地まで歩くことにした。冒頭の声は地元通行人の返答だ。

 

歩くこと15分。途中、水口城跡にも立ち寄りながら、お散歩気分で会場に到着。神社近くの公園内や、松の木がずらりと並ぶ神社の鳥居前の参道には、お好み焼き、クロワッサン、唐揚げなど、祭りや縁日でのお決まりの屋台が、多く並んでいた。会場は多くの人でにぎわっていて、お囃子が聞こえるので気分は次第に高揚してくる。「祭りはいいなあ」。

 

地元の人のお話しでは、水口町には現在16基の曳山があり、毎年交代で数基が渡行し、神社に奉納されるという。今年の出番町は大原町、田町・片町、池田町、天神町の4基だ。お昼ごろには、お囃子を奏でる若衆らが乗った曳山が全て水口神社に勢ぞろいした。

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能「月宮殿」とは

大津祭りファン倶楽部
      囃子方とからくり人形

そもそも日本古来の伝統芸能には、能、狂言、歌舞伎などがあげられますが、テレビの某番組でユニークな紹介をしていたのを記憶しています。簡単にいえば、能はミュージカル、狂言はコント、そして歌舞伎はストリートパフォーマンスという例えでした。大ざっぱではあるけど納得したものです。

 

その能ですが、主人公が能面をつけて演舞するこの演劇は、およそ650年の伝統があり、ユネスコの無形文化遺産にも指定されています。この能楽や長唄の曲目のひとつ「鶴亀」が別称「月宮殿」という訳です。

 

そこで、「月宮殿」とはどんな内容の舞なのでしょうか。ネット・サイトで検索してみました。

 

長唄三味線方の松永鉄九郎氏のウェブサイト「TEAM TETSUKURO」に、そのあらすじを説明していたので、そのまま引用したのが次の文章です。

 

(あらすじ)

古代唐土の宮廷では、新春の節会が行われている。玄宗皇帝が大臣や従者を従えて登場すると、大臣たちは、皇帝への参賀のために集まったおびただしい数の殿上人の様子や、長生殿の壮麗な様子をほめたたえる。

毎年の嘉例にしがたい、月宮殿において長寿の象徴である鶴と亀に舞を舞わせる。鶴と亀が舞い、皇帝に永遠の齢が献じられると、感動した皇帝も自ら霓裳羽衣の曲を舞って国の繁栄を祈り、やがてみこしに乗って長生殿へ帰って行った。

 

そう言えば、この月宮殿の名は湖北・長浜市の「長浜まつり」で奉納される、子供歌舞伎にもあった様な気がしますが思い違いでしょうか。お気づきの方があれば教えていただきたいものです。お待ちしています。写真:河合哲雄

 

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八幡まつり

大津祭りフアン倶楽部
      鳥居前の大太鼓

「バスのご利用でしたら、大杉町で下車してください」。JR近江八幡駅の観光案内所で、案内係の女性は丁寧に説明してくれた。4月15日(金)のことだ。

 

八幡まつり(=国選択無形民俗文化財)の会場である日牟礼八幡宮は、駅から近江バスでおよそ5~6分の大杉町バス停で下車し、そこから5分ほど歩く。昨日が宵宮の松明(たいまつ)奉火で、本祭のきょうは大太鼓が八幡宮に奉納される日だ。 八幡宮界隈に到着すると、太鼓の音が聞こえてきた。それは、近くの多賀町太鼓コミュ二テセンターの前庭に準備された、大太鼓を観光客がたたく音だった。ほどなくして、近くの公民館から大勢の若衆が出てきた。出発の準備だ。きょうは風がキツイ。

 

15時。八幡宮の空に時を知らせる花火があがった。ドドン。ドン。境内には多くの屋台の出店があり次第に賑わいはじめた。神社周辺の太鼓宿から各郷の大太鼓9基が出発し町内を練り歩く。16時あたりになると神社の鳥居前に集合した。時間待ちの合間に路上では腕自慢の若衆が太鼓をたたき、しだいに周囲には観光客が集まった。外国人の一行がさかんにカメラのシャッターを押しているのが見える。そして他の郷の若衆までもが観客となった。

 

古来より各郷に伝わるという太鼓の打ち方は、軽快なテンポのリズムだ。胸や腹までズンズンと響くその音に、私の気分は高揚し羨望の気持ちが大きく膨らんだ。

 

この後、夕方には荘厳な雰囲気の中で、順に宮入りが始まるのだが、私の取材はここまでとなった。最後になったが、五穀豊穣を願うこのまつりは、千数百年の歴史を伝えるということを記しておきたい。

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雨のカフェ

大津祭りファン倶楽部
     次第に強くなった雨

今日は雨ですね。あの日も雨が降っていました。昨年の夏のことです。
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夏。

小雨にぬれながら、私は開店直後のあのカフェに飛び込んだ。客はいない。静かだ。

「いらっしゃいませ」「モーニングで」。注文したものが届いた。持ってきたのは見知らぬ女性だ。きっと娘さんだろう。「お母様は?」「母は病気で倒れたんです。なので、私がお手伝いしてます」「大丈夫なの?」「お呼びしましょうか」「ママ、ママ~」

 

雨が次第に強くなった。バラバラバラ。

厨房から手を拭きながら、母親は姿を現した。「エツ」。私はその風貌に驚いた。やせ細った身体。頭に白いものが増え、顔も・・・。「奥で声が聞こえました。でも出ようかどうか迷ったの」

私は闘病のすさまじさを感じた。私はお店に出られるほどに、回復できて良かったですね、と伝えた。「娘さんが側にいて助かりますね」「これからは、幸せをかぞえて生きましょうよ」。そんな話をしたと思う。

 

ますます雨は激しくなった。ザーザーザー。

これじゃ台風みたいだ。窓辺の植物が、小刻みに頭を振る。もう、向こうが見えない。

 

ザーザーザー。雨はしばらく続いた。最後のコーヒーを飲み終えたころ、お客さんが来た。ご夫婦だろうか。注文した後お互いが携帯電話に夢中だ。「いらっしゃいませ」。また、次のお客さんが来た。

 

雨が小ぶりになってきた。さあ、出発しよう。この雨が終われば、もっと涼しくなるだろう。秋はもうそこまで来ている。

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能「石橋」のあらすじ

大津祭りファン倶楽部
  からくり人形の唐獅子

文殊菩薩の浄土があるという清涼山(中国・山西省)がその舞台です。滝のそばに石の橋があります。寂昭和尚は通りかかった童子に「これが話に聞く石橋か」と聞きます。童子は「そうです。この橋の向こうは文殊菩薩の浄土です」と答えます。

深さ3000メートルもの谷にかかったその橋は、幅30センチにも満たないもので、苔も生え滑りやすく危険です。童子は渡ろうとする和尚を止めます。

向かいの浄土には花が咲き、音楽が聞こえてきます。「もう少しお待ちなさい」そう言って童子は姿を消します。

そして文殊の浄土に住むという獅子が現れ、牡丹の花にタ戯れ舞う姿が見えてきました。(実際の石橋は淅江省天台山にある天然の石橋です)写真:河合哲雄

 

                                    (HP「松月会・石橋のあらすじ」参照)

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提灯行列に参加しました。②

大津祭りファン倶楽部
    提灯を持って巡行路を歩く

天孫神社をスタートした隊列は、それぞれが提灯を持ち、大津祭りの巡行路を歩きました。行列が曳山町の囃子稽古場前を通過する時、賑やかに曲目が演奏され、歩く私たちもテンションがあがります。

あたりがますます暗くなってきました。琵琶湖に近いせいか風も強くなり、それに冷たいです。市内中心部を歩くため、沿道には長柄衆の人たちが、赤色灯で警護してくださいました。こうして、隊列は巡行を終え再び天孫神社へ、無事帰ってきました。

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提灯行列に参加しました。①

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      神社でお祓いを

3月20日(祝)は春分の日。この日に大津市では提灯行列が実施され、私も月宮殿山の隊列に加わりました。このイベントは大津祭りが国の重要無形民族文化財に指定された事を祝うもので、大変喜ばしいこととなりました。

18時30分。夕闇が次第に会場の天孫神社を包み、ロウソクで赤くなった提灯が道路沿いに隊列をなし緊張が高まります。各曳山の先頭がお祓いを受け、昨年度の巡行順で次々に会場を後にしました。

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明日は提灯行列

大津祭りファン倶楽部
    軒下の献灯

国指定記念事業「提灯行列」が明日行われます。18時30分に天孫神社鳥居前を出発。出発時には曳山ごとにお祓いを受け、その後ローソクに点火します。行列は所定の巡行路を歩き天孫神社へ帰ってきます。

神社ではアトラクションがあり屋台もでます。アトラクションの後、曳山全ての山の囃子方による宵山合奏(笛)があるそう。賑やかでしょうね。当日は氏子の皆さんは軒下献灯されます。

雨天による中止の場合は21日に延期されますが、それでもダメ名場合は中止となります。晴れると良いですね。

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HP運営について検討

大津祭りファン倶楽部
 和食屋さんでお昼ごはん(イメージ写真)

今日はHP運営について、上京町月宮会会長の奥村さんと月宮殿山町家において検討会を実施しました。私から完成目前のHPについて説明の後、今後関連情報をどの様にしてキャッチするか、こぼれ話などの取材方法や事務局の場所などが主題でした。 

終了後、私は市内をぶら歩き。お昼ご飯をまだ食べていなかったので、目についた和食やさんへ。このお店については別の機会に紹介します。(写真はイメージです)

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比良山の自然水

大津祭りファン倶楽部
   自然たっぷりの水

比良山系が連なる志賀は湖国を代表するアウトドアスポットです。そこでお休みを利用してドライブしてきました。そして、麓にある取水場で自然たっぷりのミネラルウォーターをゲット。

地元の方のお話では、保健所の水質検査もクリアしていて、コーヒーやお味噌汁などに重宝しているそうな。「この水を飲んだら水道水は飲めないわ」と、現場にいた奥様が笑顔で話されました。

なんだかこの自然水を飲むと、私も自分の体が浄化されてキレイになりそうな気分に。

 

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初めての巡行参加

大津祭りフアン倶楽部
  月宮殿山の集合写真

私が大津祭綱引きボランティアへ初めて応募したのは平成18年でした。参加者は大津曳山展示館の3階多目的ホールでの説明会に出席し、本祭当日の要項、講演そして各曳山責任者紹介の後、それぞれの曳山町別会場へ分散しました。

なにぶん初めてだったので、全てが興味深く好奇心全開だったのを記憶しています。あれから10年が経過しましたが、巡行に参加する醍醐味はいまも変わりません。

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HPが完成しました。

大津祭りファン倶楽部
     いらっしゃいませ

かねてよりの念願だった「大津祭りファン倶楽部」のホームページが完成しました。このサイトで祭り好きのみなさんと楽しく遊びたいと思っています。

祭り男がほぼ毎日更新(=希望)する、気まぐれ日記をよろしくお願いします。

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