曳山巡行路の界隈

このページでは曳山巡行路にあたる沿道の情景を紹介します。ぜひ立ち寄ってみてください。


     森本家のスケッチ画
     森本家のスケッチ画

森本家・国登録有形文化財(内部非公開)浜通り

 

以前、このコーナーで紹介したのが「江戸時代・米会所跡の石畳」(浜通り)でしたが、この大型町家も同じ通りにあります。ぶらり散歩をしていた時に発見したのですが、この家の大きさに驚き、その土蔵のような漆喰塗りの壁面(白色)が大変印象的でした。

 

この家は鬼瓦銘から嘉永2年(1849)の建築であることが分っています。昭和初期の道路拡幅で表屋をなくし現在の姿に。外観の写真を撮っていたら「どちらさんですか?」と声をかけらえたのですが、なんと買い物帰りの家主さんでした。ご厚意により玄関の内部だけを見学させていただきました。今回は写真ではなく「自転車野郎」さんのスケッチで紹介しました。


       お店の正面
       お店の正面

フレンドマートが新装開店

 

10月15日(金)の午後。大津市の親族宅に立ち寄った際に、大津市菱屋町商店街へ行ってみた。目的はこの8日にオープンした平和堂の食品スーパー「フレンドマート大津なかまち店」だ。

 

ここは以前「西友大津店」が立地していた場所で、2015年4月に閉店してからビルは解体され、跡地に新しく建設されたものだ。大津祭曳山展示館(大津市中央二丁目)のある長等商店街や、隣接するこの菱屋町商店街では唯一の大型店舗だっただけに、当時惜しまれつつの閉店だった。

 

地元住民にとっては京阪浜大津駅近くの大型商業施設の閉店や、JR大津駅前の平和堂の閉店などもあり、この商店街の活性化は大きな課題となっていた。また、2年前の「西友大津店」の閉店に伴い、その後の商店街の通行者数も随分減少していた様子が私にも見えた。

 

こうした中での開店だったので、私も興味を持ってお店を訪れた。

 

お店の前でお客様を誘導していた警備員のお話では、地元の特にお年寄りの方々の姿が多く見られ、お客様には大変喜ばれての開店だったようだ。建屋は1階だけの食料品売り場で、駐車場は2階になる。およそ40台分のスペースが確保されている。

 

店内をぐるりと巡っての感想は「これだけの品揃えなら充分かも」。商店街に食料品店がない訳ではない。しかし、こうした大きな店舗の出現で、生まれるざわつく雰囲気と、高揚感が私は好きだ。これからも多くの市民や観光客でにぎわって欲しいと思う。期待したい。


      中川さんと本店
      中川さんと本店

「男眉立てて祭の武者となる」

 

真夏日のような日が続いた5月の下旬。お訪ねした「中川誠盛堂(せいせいどう)」は、安政5年(1858)創業でおよそ160年の歴史をもつお茶の老舗です。現在の店主・中川武さん(57)は5代目といいます。

 

「当店では朝宮茶など近江茶を中心とした商品ですね?」「そうです」。

中川さんによれば、一般に広く市販されているペットボトル飲料のお茶も良いけど、「本当のお茶を飲んで欲しい」といいます。いわゆる原料に外国産の茶葉をブレンドしたものや、原産地の異なる茶葉の混合品などが多く、「あれがお茶と思っている方、知らない方が多い」「その現状が悲しい」といいます。

 

当店の商品はそうしたものと異なり、契約生産者が栽培した茶葉をブレンドせず、そのままお届けしています。緑茶の苦みの中にほのかに甘みのある本物だけが持つ、微妙でデリケートな日本の味を、今の若い人にもぜひ分かって欲しいと切に願っております。

 

また雑誌「別冊 Discover Japan GASTRONOMIE」(株式会社エイ出版社)では特集「世界が注目するニッポンの茶」の中で、ニッポンのお茶が今、世界で注目されているとして、「煎茶の最高峰は近江茶である」と紹介しています。

 

「ご商売上でのエピソードがございますか?」「当社の日吉茶園をご存知でしょうか」。

 お話しによれば、ここは日本最古の茶園であり、1200年前の延暦24年(805)に伝教大師最澄が唐より茶の種子を持ち帰り、比叡山麓に撒いたことが茶樹伝来の始まりといいます。日吉大社(大津市坂本)の一隅にあるこの茶園は、その時のものと伝えられています。

 

また、従前より同社では毎年の祭礼(山王祭)で、日吉茶園で摘まれたお茶を神輿(みこし)に奉納する献茶祭があります。中川さんら関係者の方々は、こうした茶葉の商品化を準備してこられましたが、今年に初めて飲めることになったそうです。それはなんと取材した前日でした。「昨日できたところです」。販売はこの6月5日を予定されています。まさにビッグな話題となりました。

 

「大津祭との関連性や感想はいかがでしょう?」「私は3歳の頃から曳山に乗っていますよ」。

当店の所在地の町内では「西行狸桜山」を巡行さす山町ですから古くからのお付合いといえます。そもそも当時の豪商たちが資金を出し、建立された歴史がありますから、当時は曳山に誰でも乗れる訳ではありませんでした。

 

中川さんの小学生のころの思い出によれば、曳山に乗る者は宵宮の日に学校から早退を許され他の生徒の羨望の的でした。「優越感たっぷりでしたね」(笑)。中川さんの顔が緩んだ瞬間でした。

 

またこんなお話しも。「これは私の親父が曳山に乗った時を詠んだ句です」。私はその句が掲載された本を見せていただきました。「ああ、なるほど」。お気持ちがよく表現されています。<男眉立てて祭の武者となる>。

 

わたしたちが毎日何気なく飲むお茶ですが、実に様々な種類がありながら、それらの中から自分の好みのお茶を「選ぶ」という心のゆとりや、くつろぎの時を過ごす大切さを改めて考える今回のインタビューとなりました。


     尾中さんとお店の外観
     尾中さんとお店の外観

アットホームな素敵なお店

 

桜の花もピークを過ぎる4月21日(金)の午後。天気は晴れ。私はJR大津駅に到着。少し早めに着いたので、駅前のベンチで準備した資料の内容を確認しました。「よし行こう」。少し緊張します。

 

「コーヒーハウスコーダ(CODA)」は駅から徒歩数分のビル1階にあります。店内に入るとアットホームな雰囲気が漂っています。オーナーの尾中幸恵さん(53)は、お客様のランチの準備で忙しい様子。私はコーヒーを注文して一服。時間の余裕ができたところでお話しを聞くことにしました。

 

「この場所で開業されたのはいつですか?」「もう9年前になりますね」。お話しによれば、尾中さんは前々から喫茶店かレストランをやってみたいという夢がありました。兵庫県生まれの兵庫県育ちの尾中さんは、こちらに嫁いで30年になります。そして夢がかなった現在は忙しい毎日です。

 

「お店のPRポイントは何でしょう?」「誰でもホッとできるお店でありたいですね」。ふわふわ卵のオムカレーや自家製のケーキ、滋賀県の名物である赤こんにゃくなども提供しています。また、ビール・ワインに合う小皿料理もあります。「美味しいですね」というお客様の一言が一番嬉しいそうです。

 

「何かエピソードがありますか?」「ええ、ありますよ(笑)」。私は興味深くお話を聞く。このお店では毎年2月14日前後に「スイーツの日」があり、パーティーを開催します。もちろん参加は独身者に限ります。バレンタインデーは恋人たちの愛の誓いの日として馴染み深いですが、なんとお店のお客様どうしの2組がめでたくゴールインしたのです。この場が出逢いの場になったのです。なんともハッピーな話題です。

 

大津祭について聞いてみました。「1年の中で最高に忙しいのは大津祭の日ですね」。また、ご自身もお祭が好きなので、「一人でも多くの方々にPRしたい」と笑顔で答えていただけました。ファン倶楽部としては嬉しいお言葉です。

 

最後に今後の展望についてお尋ねしました。「店名のCODAは"Children Of Deaf Adults"に由来しています」。意味するところは"聴覚障害を持つ両親の子供"です。尾中さんは聴覚に障害をおもちなので、コミュニケーションの方法は主に手話、筆談、読話を使います。手話講師歴は25年ですが、今後とも手話の普及活動を続けたいとのお話しでした。


      春田さんと店舗正面
      春田さんと店舗正面

曳山に乗れないんですよ

 

2月20日(月)の午後。少し冷たい小雨が降っている。私はJR大津駅前から、これから訪問する旨の電話連絡をいれた。すると「AZZスポーツ店」オーナーの春田吉信さん(65)の元気な声が聞こえた。「どうぞいらしてください」。

 

「お店はこの地で創業されたのですか?」

「ええ、生まれも育ちもここです」。お話しによれば春田さんは、学校卒業後に大津スポーツ店(大津市京町一丁目)に勤務。その後独立してテニスとスキーのスポーツ用品店を創業し現在に至ります。幼いころから始めたスキー歴は57年といい、またテニス歴は50年にも。なるほど店内いっぱいに並ぶ商品とともに、指導員資格証や長年の功績をたたえた表彰状が多く並びます。

 

「テニスやスキーへの想いをお聞かせください」。

滋賀県スキー連盟の役員やスキーの指導員として忙しい春田さんですが、競技人口の減少に悩みます。かつてのバブル経済の全盛期に、日本各地のゲレンデはスキーヤーであふれていました。好景気に沸く日本では豊かさの象徴として、スキーがブームになっていたからです。「90年代初期がピークでしたね」。

 

ところがバブルが崩壊すると、スキーブームも終わり、人々のスキー場に行く頻度も落ちてしまいます。これは、景気が悪くなったことで、スキーのように出費のかさむレジャーは敬遠される風潮が強まったことが要因と考えられます。

 

でも、ここへきてバブル期に青春時代を過ごした中高年層が、再び戻りつつあるそうです。その理由はお金と時間のある人が増えたことや、昔に比べスキー用具の進化で誰でも簡単に滑れる様になったことだといいます。

 

「大津祭への想いを聞かせてください」。

息子さんは囃子方として毎年参加されていますが、お孫さんがお嬢さんだそうで、「曳山に乗れないんですよ」と無念そうな春田さん。世は少子高齢化社会。ここでも後継者が足りません。「友人知人のお子さんに声かけする状況ですね」。

 

曳山の巡行路にあたる国道(通称電車通り)沿いにお店はありますが、電車や車の通行が多いため、安全上の面からこの通りでの、所望やチマキの配布が禁止され残念がる春田さんです。また、従前は自宅2階の窓から家族で応援していましたが、現在は止めたそうです。「2階の家具を移動するなどの準備がもう無理です」(笑)。

 

元気で笑顔溢れる春田さんでした。


  「ちはやふる」電車と浜大津駅
  「ちはやふる」電車と浜大津駅

浜大津駅で乗換えやな

 

大阪の知人から電話があった。「京阪で近江神宮駅に行くんやけど」「それで?」「浜大津駅で乗換えやな」「何しに来るん」「俺じゃないよ。一番下の娘や」。年の瀬も近くなったある日のことだ。

 

話しを聞くと高校生の娘さんが、学校のお友達と滋賀県に遊びに来るという。お酒を一緒に飲む機会が多い知人は、滋賀県に居住する私に電話をかけ確認をしたという次第。「ああ、あれね」と納得の私。

 

大津市民に親しまれている近江神宮をはじめ、市内各地の会場には全国各地から高校生が参集し、「小倉百人一首かるた選手権大会」が開催されている。コミック・テレビアニメで知名度は上がり、年々参加校・出場者が増加しているという。実写版の映画「ちはやふる」でますます人気だ。

 

確かに京阪電気鉄道石山坂本線に乗ると、中高生らしき若者のグループが賑やかに話している光景や、携帯電話を車窓の外に向けて操作しているのを見る。明らかに動画撮影だ。聖地巡礼というあれだ。電車内の案内もアニメの登場人物の声が流れる時もある。私などは最初に聞いたとき「ナンダコレ?」状態に。

 

聖地「近江神宮」を訪ねと、境内では初詣に向けて業者の方が準備中だった。アニメ関連のポスターやおみくじなどもある。お正月には大勢の参拝客で賑わうはずの神社も、平日は閑散としている。「まあ、こんなもんでしょう」と納得。

 

社務所には年間かるた行事暦が掲示されている。1月1日の競技かるたのチャンピオンを決める名人位・クイーン位決定戦を初めとして、高松宮記念杯歌かるた大会・高校選手権大会・大学選手権大会などなど盛りだくさんだ。

 

聖地を訪問した日は「ちはやふる」ラッピング電車ではなかったけれど、車内で私はつぶやいた。「よし、正月休みにはもう一回来ようか」。これからも観光客が増えることを期待しながら。


  黄色い葉が鮮やかないちょうの木
  黄色い葉が鮮やかないちょうの木

樹齢400年の古木

 

JR大津駅からびわ湖方面に伸びる中央大通り。この道を歩いてほどなくすると「いちょうの大木」が見えます。この季節ですと黄色くなった葉が目を引きます。この木は大津祭の日に天孫神社前に集合する時、巡行時や昼食休憩時によく目にします。ですからその存在は私もよく知っています。

 

このいちょうの木は大津市の指定天然記念物 (S50年1月4日指定)で、樹齢400年を超す古木です。1968年の大通り整備までは、近くの浄土宗・華階寺(けかいじ。大津市京町3丁目)の境内にある木でしたが、工事に伴い中央分離帯に残されました。

 

 近くの大津裁判所前のいちょうの木は、樹齢も若くその姿はまさにツリーといった風です。それに比べこの木は、樹勢が衰え台風の影響で折れ、枯れた枝などが切り取られるなどして、かなり痛々しい姿です。 取材当日は曇りで少し寒いでした。木の下で撮影していると、頭上からハラハラと黄色い葉が落ちてきます。地面一面の葉に混じって、ころころと実もたくさん落ちていました。あの天孫神社の桜の木々も葉を落とし「冬近し」の様子でした。

 

 古木の近くには古くからあるコーヒーショップ「コロラド」があります。そこで私は暖かいコーヒーを飲みながら暖をとりました。カウンターの中で忙しく働いている店主の北村芳子さんに聞いてみました。 「ずいぶん古くからあの木はあるそうですね」「そうやね。私もこの店やって40年や」「このあたり何か変わりましたか?」「な~んも変わらんね」(笑)。

 

「大津駅がこの前改装されたくらいかな」とおっしゃる店主。スクラップ アンド ビルドでめまぐるしく変化する現代。そんな中、何も変わらないというのも貴重かも知れませんね。


        店先には行列が
        店先には行列が

大津駅ビルの新装開店

 

10月1日(土)の夕方。きょうは「総囃子」の日だったので、私は月宮殿山(上京町)の会所に向かった。大津祭の本祭(9日)に向けたお囃子の練習最後の日であり、その成果を確認する日でもある。

 

JR大津駅の正面に出ると、1階のフロアにある店舗の前には、多くの客が列をなして入店順番を待っていた。従来、この駅前でこうした光景を見ることがないので、ちょっと驚いてしまった。「ああ、きょうが開店か」。

 

JR大津駅の新しい駅ビル「ビエラ大津」は2階建てで、1階には観光案内所、滋賀のお土産も販売するセブンイレブン、Cafe、そして、いくつかの飲食店が並んでいる。2階もあるがまだ見学していない。店先の客に聞くと、飲食や宿泊などの複合施設「THE CALENDAR(ザ・カレンダー)」が入っているそうだ。「カプセルホテルですか?」「そうらしいですよ」。

 

みんなが初めてだから、はっきりとは知らないのも当然だ。しかし、こうしたざわつく雰囲気と、高揚感が私は好きだ。今まで県庁所在地の駅前とは思えないほど寂しさが漂っていたのは確かだ。 これからも多くの市民や観光客でにぎわって欲しいと思う。期待したい。


    教室案内とマークさん
    教室案内とマークさん

 祭り応援します。頑張ってクダサイ

 

大津市の丸屋町商店街にある「KASCLE」(キャッスル)は、米国フロリダ出身の元教員、マーク・ブラッフォードさんが主催されている、子どもと大人の学びの城(教室)です。4年ほど前にオープンしました。

 

私がここを知ったのは、大津祭に関する用事で教室の前を通った時でした。「ハーイ。こんにちは」とマークさんの挨拶。「ここは何屋さんですか?」と尋ねる私。

 

そんな疑問が出たのは、建物の1階部分に水槽がいくつも並んでいて、魚類をはじめカエル、イモリ、サンショウウオ、そしてイグアナなどの生き物が飼育されていたからです。ハムスターやネズミもいたような気がします。

 

後で知ったのですが、およそ40種類にもなるそうです。マークさんに案内されて、さらに奥の中庭部分に進むと、ミミズのコンポストや植物も植えてありました。2階部分が教室になります。

 

お話しによるとKASCLEは「The Kansai Academy of Science, Culture,

Language and the Environment」の略で、「関西 科学・文化・言語・環境 学園」を意味しているそうです。なるほど先ほどの水槽で飼われた魚や小動物の多さなどは、環境教育の一環としてなら理解できます。教室でのお勉強だけでなく、自然公園や水族館などへ親子一緒に出かける、フィールドワークもあります。

 

また、マークさんは大変フレンドリーで、初対面でも好感を抱くお人柄です。クリスマスのシーズンになれば、公認サンタクロースでもある彼は子供達に大人気です。

 

そんなマークさんは大津祭にどんな感想をお持ちなのでしょうか。

 

「ワタシ大津祭にも参加しました」。お話しによれば、天孫神社の近くにお住まいなので、すぐに興味を持たれたそうです。祭の人たちは外国人や子供たちにもやさしく、友好的だといいます。「京都の祇園祭では、こんなことアリマセン」。大津祭のファンがここにも存在していました。


吾妻川沿いを歩く(浜通り)

 

「なんやこの暑さは」。思わずそんな愚痴が飛び出してしまう。湿気が多くて蒸し暑い。6月のこの時期では、梅雨前線の影響で強い雨や雷もある。

 

そんな日中に大津市街の浜通り界隈を散歩していると、冷たそうな水が流れている小川を見つけた。吾妻川だ。橋の上から川上を眺めていると、ふと上流まで歩いてみたい気持ちが湧いてきた。

 

まず下流を見ると、この川が大津港脇の「おまつり広場公園」(大津市島の関)あたりで、琵琶湖南湖に注いでいるのが想像できる。なのでこちらはパスする。

 

そこで上流に向かって川沿いを歩いてみた。掲載写真で言えば右側の川沿いを民家の軒下を伝って歩いたが、すぐに突き当たってしまった。そこで川の流れを確認して引き返えした。

 

浜通りを東方面に向かい、なるだけ川に近い小道を選んで進む。すると滋賀合同ビルの東側(郵便局の近く)に出た。さらに県庁の東側を通り、JR大津駅方面に向かって上がって行く。大津駅の東側にある小さい隊道を進み、JR琵琶湖線の下をくぐると国道方面へと続いている。「ああ、ここに出るのか」。

 

この川は大津市の音羽山を水源としていて、平成25年の台風18号では、上流で土砂崩れや堤防の崩壊があり大変な水害が発生している。JR大津駅東側の橋あたりに流木や土砂が溜まり溢れたのだ。

 

地元の人の話では、昔はたくさんの魚が琵琶湖から上がってきて、魚つかみもできたそうだ。今も年に数回、地元の幼稚園や小学校の子供達が川遊びや魚取りにくるという。なるほど自然災害が発生することもあるが、普段は水のきれいな親しみの持てる小川だと思えた。


江戸時代・米会所跡の石畳(浜通り)

 

普段の通勤や通学などで利用する道を、何気なく脇道へ迂回すると、いままで気がつかなかった風景を発見するときがあります。いわゆる路地裏を散策するというやつ。それはちょっとしたワクワク感があります。

 

そんな風にして見つけたのが「大津御用米会所」跡でした。写真でもよく分かりますが、最初はこの石畳にびっくりします。「ええっ。何これ?」。石畳に沿って古民家風の家が奥へ続きます。

 

米会所とは江戸時代における米穀類の取引所です。当時の年貢は米であり、大量の年貢米が城下町や港湾都市など集まり、そして各地へ運ばれて行きます。古くから北国米・近江米の集散地であった大津にも会所があり、京都方面へ送られていました。

 

この界隈を米屋町と呼んでいたそうですが、なるほど米を商う問屋や仲買人が多く住んでいたであろう事が想像できます。この石畳の表面はなめらかで、まるで京都市電路の再利用かな、とも思えました。


祭で街全体が明るく(寺町通り)

 

「ベーカリー・カノン」は丸屋町商店街にほど近く、中央二丁目の交差点角にオープンしたお店です。1年6カ月前のことです。店内は手作りパンと自然食品を中心とした品ぞろえで、ふんわりとした雰囲気に包まれています。大津祭の巡行路沿いにあるため、祭りについて店員の末富留美さんに聞いてみました。「お店を開けるころは、お祭当日はものすごい人出ですね」「皆さまの明るい笑顔を見ると、街全体が明るくなるのを感じます」「なのでそれが私は嬉しいです」。祭と市民、そして観客との関係性がよくあらわれている言葉です。店内では、バリスタ・コーヒーマシンでの「有機コロンビア・コーヒー」も100円でサービス中です。ぜひこちらもどうぞ。


珍風景「すずめ」(寺町通り)

 

某テレビ番組で「珍百景・なにこれ~」という番組があります。つい最近私にとってまさにナニコレ的な光景に出会いました。もちろん、大津祭りの巡行路になります。

私は普段の生活の中で、ずいぶんこの前を通過してきましたが、この「すずめ」には全く気がつきませんでした。もちろんこの小鳥が「すずめ」とは断言できませんが。

画像で分かるように、これは道路と民家の間に設置した金属製防護柵です。ここに限らずどこでも多く見られるものです。でも、こんな小鳥は見たことがありません。民家の小鳥好きな市民がこしらえたのでしょうか。または、工事した行政側のいきな計らいでしょうか。なぜここだけなのでしょうか。いつからでしょうか。分かりません。

 

どなたかご存じありませんか。


ハワイアンキッチンズ(浜通りあたり)

 

旧大津公会堂の地下1階にあるハワイ料理・ハワイアンコーヒーやスイーツのお店です。滋賀県内では3店舗あり、いずれも琵琶湖湖岸にあります。店内はハワイを思わせる内装で統一され、女性のお客様が多いのも納得です。定番の「ロコモコ」をはじめ、ドリンクは「ライオンコーヒー」や「KONABEER」などと、まさにハワイにこだわったお店です。


町家散歩(中町通り)

 

全国的に古い町家が見直され、お洒落なカフェやレストランに改装されて人気ですが、大津市でも中央学区などに残る町家の調査が行なわれマップが完成しました。そして10月の大津祭りでも販売され好評でした。 大津祭りの観光のかたわら、マップを手にして町家散歩をいかがでしょうか。曳山もこの街並みを巡行します。


大津城跡 (浜通り)  

 

三井寺の門前町として知られた大津でしたが、港町としてはだ未整備でした。その大津が発展するのは、安土・桃山時代に豊臣秀吉がびわ湖岸に面して大津城を築き、水運を整備して、東国・北国の諸物資の大集散地となるよう導いたことが発端と言われています。  京阪浜大津駅に近い浜通りに案内板があります。


だいず屋 (中町通り)

 

築100年の町家をリノベーションしたレストランです。スタイリッシュで落ち着いた雰囲気の中でゆったりした時間を過ごしていただけます。店内には、モダンなテーブル席と和室と大きな堀ごたつ席、2階に8名~16名様の個室もご用意しておりますので、用途に合わせてお楽しみください。


建設中のNHK大津放送局 (京町通り)

 

現在、県庁前の旧滋賀会館跡地に、NHK大津放送局が建設中です。同会館は昭和29年に建設され、老朽化が進み耐震性も低いことから、県施設としての機能をこのほど廃止。一方、NHK大津放送局は建設から46年が経過し、建物の老朽化や放送用機材の増加などからここへ移転し、平成30年度までに運用を開始する予定。